追記

いがいが日記


2026-04-24 [長年日記]

_ RubyKaigi2026の笹田さんの本屋

いろいろ書きたい記憶はあるが、対人の記録になってしまうのでプライベートな日記に残すことにして、ここでは笹田さんの本屋の話を書く。今年はコーナーゲストという仕組みで本の推薦をさせてもらい、あわせてときどき店員をさせていただいた。

広い場所にたくさん本が並べてあって素晴らしかった。店員係で来る方々といろいろ話せてたのしかった。たくさんの人がサインや売り子に来ていてとてもよかった。

RubyとRailsの本はなかなか売れなかった。著者がいても売れないのでみんな持ってるのだろう。須藤さんの寄稿しているリーダブルコードは27刷らしいすごい。須藤さんは売り込みが上手でたくさん売っていた。

えびちゃん、アーロンさんがきてくれてRuby超入門を買ってくださる。嬉しい。最終日、学生さん(ピクシブの渡航支援で来られてるようだった)が何人かいらしたのでRuby超入門を1冊ずつプレゼントした。これは良い仕組みだったので来年もやりたい。

店番をしていたら、Ruby超入門でRubyを覚えた方がたまたまお二人同時にいらっしゃり、良い本ですよね、わかりやすかったです、もっと推したいとお褒めの言葉をいただけて嬉しかった。これはなかなか希有なことなので、本屋の場をつくってくれた笹田さんに感謝。


2026-02-03 [長年日記]

_ AI調査読み物と伊勢崎史

ここ3ヶ月程、GeminiのDeepReseach機能で自分の興味のあることを調べてもらったレポートを読み物としてたのしく読んでいる。 日本の輸入品や輸出品のランキング、日本の産業構造と製品、コーヒー生産国と消費国のランキング、北前船貿易、などなど、詳しく知りたかったがデータや書籍を調べて読むのも面倒という問いに簡潔に、かつ読みやすく資料を書いてくれて本当にたのしい。ソースとして省庁データをつかってくれるので、最新に近い量や金額の話が読めるのがとても良い。

これをつかって長年の謎だった東武伊勢崎線がなぜ伊勢崎まで延伸してきたのかを調べてみた。住んでいるときは気にしなかったが、外に出ると伊勢崎のような小さな街へ私鉄が終点の駅として延びてきているのが不思議で、どうしてだろうと思っていた。数年前にブラタモリを見て、東毛地域は養蚕業が盛んでそれは輸出されて外貨を獲得していたと知り、そうか絹の貨物を運ぶためかと納得していたのだが、調べてみたらより詳しいことがいろいろわかってたのしい気分になった。

まず、鉄道が走る前はどうやって東京へ運んだかは、利根川や広瀬川など川をつかって運んでいた。これがコストをかけずに絹織物を運べる産業の起動に役立ったのだろう。しかし川の水が減ると運べないなど問題があり、明示20年頃、現在のJR両毛線が走ると鉄道で東京まで運べるようになった。しかし両毛線+高崎線は遠回りして東京へ運ぶので、直線距離で結ぶ東武伊勢崎線が明治末期に出てくる。コストメリットと、加えて1時間程の時間短縮になったのが良かったらしい。東京での流行を織り子に伝えて織ってもらい、また東京で売る、という時間を重要視する戦略をとっていたようで驚いた。つまり、東武伊勢崎線は最初から貨物を運ぶために伊勢崎まで延びてきたわけで、人を運ぶのが主目的ではなかったようだ。人を運ぶために、前橋などへつなぐ計画もあったそうだが、実現しなかったのは採算が取れない見込みだったのだろう。

ここまででかなり納得したのだが、そもそもなぜ伊勢崎で養蚕が盛んだったかのが次の疑問になった。

まず、空っ風が蚕の飼育に良い影響を与えていたそうで、乾燥した風が蚕の病気を防いだらしい。また、蚕の飼育方法に革新的な方法を(現)伊勢崎の田島弥平(最近旧邸が富岡製糸場とともに世界遺産に認定された)が発明したそうだ。この飼育方法に最適な住居をつくって蚕を飼育したらしい。また、この周辺は川が氾濫しやすい地域だったそうで、氾濫に対して弱い稲作ではなく、氾濫しても対応できる桑の栽培が盛んだった、これらがそもそも伊勢崎周辺で養蚕が盛になっていた理由のようだ。

また、海外へ輸出したのは織ったあとの絹織物だと思っていたが、それだけではなく蚕のたまごを輸出していたそうだ。これは、ヨーロッパで蚕にかかる病気が流行ったことで全滅してしまい、その病気がこなかった日本から蚕のたまごを輸入することになったそうで、これが莫大な富を生み出したらしい。そして庶民向きの絹織物である銘仙を屑繭からつくっていたそうで、これが東京で売れた、それを運ぶための東武伊勢崎線だったのだろう。

養蚕業は戦後に廃れて、20年後くらいに私が伊勢崎で生まれる。この頃は、学校の授業で養蚕が過去に盛んだったことを学ぶこと、近所に桑畑が広がっていて養蚕の名残りを感じること、くらいしか養蚕のことは知らず、そして東武伊勢崎線は東京まで安く行けて便利だなくらいしか思わなかった。それから数十年かけて東武伊勢崎線が伊勢崎まできたのは明治末期というすごい昔であり、その背景を少しずつ知っていくことになった。養蚕業によって得られた巨大な富の遺物としての東武伊勢崎線の恩恵を受けていて、当初の目的であった貨物がなくなったあとも存続させていてくれた過去の人たちに感謝する気持ちになった。


2026-01-06 [長年日記]

_ 獅子回顧録

ライオンズの渡辺久信 元GMのエッセイ。ライオンズファンを40年以上やっているが、編成の人たちの仕事や考え方は全く知らなかったのでとても面白かった。渡辺GMのエピソードと自分の記憶が照らし合わせて読めてとても面白かった。渡辺GM、同郷なこともありファンとして強く応援していたが、この本でさらに好きになった。

https://www.kanzen.jp/book/b10154651.html


2025-12-06 [長年日記]

_ 北陸Ruby会議01

会場は昨年できた石川県立図書館。とても美しい図書館で、子供が遊べるスペースもあり、子も喜んでいた。ほかにも勉強会が開かれていたり、たくさんの学生さんたちが勉強していたり、とても良い空間だった。石川県はここにお金をつかうことを良しとしているという力強い主張を感じた。

セッションのことは1つだけここに書く。高橋会長のRubyの会ができるまでの歴史、とても興味深い話だった。最近 Matz Essays Volume 2 (Page. 34)で日本Rubyの会のできた頃の話を読んだので個人的にナイスタイミング。高橋さんの話、法律の話でも低レイヤー(?)にちゃんと当たってるのがたいへん勉強になる。高橋さんがここまでちゃんと考えてくれて日本Rubyの会の一般社団法人を作ってくれたの、たいへんありがたいという言葉では語り尽くせないほどのありがたさがある。


2025-11-07 [長年日記]

_ RWC2025と一畑電車

RWCで今年も松江の旅を楽しんだ。

毎年の地ビール館イベントが今年は一畑電鉄の貸切おでん電車になった。一畑電車貸切でおでんを車内食べた。実施は2件目らしく、新しい試みらしい。途中休憩の停車駅で運転士さんがいろいろ話して教えてくれた。ブレーキは圧力で段階的にかけていく。アクセルは3速まである。この車両、来年くらいに引退することが決まってるそうで、50年以上走ってるらしい。すごい。2両セットでしか走れないもので、新しい車両は1両の両側に運転席があるので1両で走れる。車両は全部で12編成程あるらしい。

RWCでは今年もいろいろな方と会えて、ひさしぶりな方とも会えてとても良い時間を過ごせた。誰と話したかなど、具体の話はprivateなところに書き残す。これらの話題をpublicに書くことがここ数年尻込みするようになっている。考えすぎなのかもしれず、もったいない気もする。


追記