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いがいが日記


2018-02-24 [長年日記]

_ Ruby25

Ruby25周年イベント、たくさんの方が笑顔で祝う、とても良い会になった。私はスタッフで前日まではメッセージやWebサイトの更新をしたり、当日は受付番長をしつつ、会場をうろうろする担当だった。受付はRubyと聞いて駆けつけてくださった島根県のみなさんが完璧に運用してくれた。プレス対応はクックパッド広報の菊地さんが対応してくれた。託児所は寺嶋さんが引き受けてくれた。この心強さを例えるならば、新人が監督として工事現場へ行ったらTOKIOメンバーが作業者だった、並であると言えば伝わるだろうか。心強かった。

今回のイベントでみなさんからたくさんのメッセージをもらった。Pull Requestでしっかりとした文を送ってくださった方が約20人。twitterで ruby25thのハッシュタグ でのtweetは1000を越えた。どれも読んでいるととても幸せな気持ちになるものだった。

今回のイベントは「人生」や「生き方」に関する話を多く聞いた気がする。これは、笹田さんが「25年の昔話だけでなく、未来についても」と言っていたのが大きいのかもしれない。25年前から、25年後まで考えれば50年、人生の半分だ。自然とみんながそう考えていったのかもしれない。

私はプログラマで、1日のうちでRubyを書いている時間がおそらく一番長い。日本語よりも長い時間使っているかもしれない。思考もRubyでしている時間が長いはずだ。(正確には日本語とRubyといろいろな知識が入り交じった何か) 仕事での日々の重要な判断にもRubyの知識を使っている。

では、日常生活の思考や判断は?Rubyの影響を受けてない?それは純粋な日本語だけの世界か?そんなことはなく、日常生活での思考や判断も、Rubyの影響を大きく受けているはずだ。Rubyの技術面でもそうだし、RubyKaigiやRubyConfなどコミュニティ、人が集まる場の設計やふるまいなど、人とのコミュニケーションでも大きな影響を受けている。私の中からRubyに関わるものがなくなったら、どれだけ空っぽになるだろうか。人間関係でもRubyの仲間たちがいなくなったら、大げさでなく私の交友関係は半分以下、もしかしたら1/10以下になると思う。これは今回のイベントを通じて気づいたことだ。

気づけばRubyから大きな影響を受けている。技術だけでなく、人生のあらゆる場面で、正しいことは何かと考えるときの礎の多くはRuby製だ。

june29さんのメッセージには『「MINASWAN (Matz is nice and so we are nice)」の標語に触れて、ぼくも nice でいたいな〜と強く思うようになりました。』とある。mrknさんのメッセージ には『一つのプログラミング言語がこれだけ人の人生を豊かにできるとは思っていませんでした。きっと、Ruby だけでなく、他のプログラミング言語でもこういう物語はあるのでしょう。でも、私にとっては Ruby でした。』とある。

Dave Thomasさんのメッセージには "I think that Ruby's appeal is a combination of human and technical factors." とある。人間と技術の結合、相互作用。人間としての面にも技術が影響を及ぼすものなのだ。

私の中にいつの間にか大きく育っていたRubyがくれたたくさんのもの。もしも仮にRubyを書かなくなったとしても、私はRubyがくれたものと一緒に生きていく。ありがとうRuby。これからもよろしく。

最後に、素敵な言語を作ってくれたmatzさんと、素晴らしいイベントを企画してくれた笹田さん、そしてRubyistのみなさんに深く感謝します。

http://25.ruby.or.jp/


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