«前の日記(2021-12-01) 最新 次の日記(2021-12-17)» 編集

いがいが日記


2021-12-07 [長年日記]

_ 鉄塔から飛ぶ電波はあの川を越えて届くのか

おはようございます。igaigaです。2021年12月7日の、朝です。(ここでタイマーセットを忘れる) このテキストはやんちゃクラブリスナーアドベントカレンダー2021、7日目の記事です。昨日はkatsyoshiさんの 「やんちゃクラブとRubyistと川」 でした。稲田堤の川の家、行ってみたかったなぁ。

今日のハムのコーナー。私もbashさんと同じくアマチュア無線4級の免許を中学生のときに取りました。群馬に住んでいたので、高崎か、もしくは東京か、ちょっと遠くへ試験を受けに行った覚えがあります。中学生だと当然試験対策本に書いてあることはほとんど理解できなかったので、問題と答えのセットを暗記してがんばったと思います。その後、高専の電気科に入学することになり、電磁気学や電波工学、電気法規といった科目に悩まされることになりますがそれはまた別の話。

今日の話の主役は私ではなく父です。私が免許を取ったときに父のお下がりでもらった無線機(ハンディではなく固定機でした)は、当時の機械によくあったアナログの計器針がたくさんついた、大きさもちょっとした音響アンプくらいあるすごいものでした。父はより上位の級(2級?)の免許を持っていて、かなりのハム活ガチ勢でした。

ある日、父は庭にアマチュア無線のアンテナを載せる鉄塔を建てました。高さは2階を超えていたので10m程でしょうか。穴を掘り、コンクリ?を流しこんで土台をつくり、1辺50cm程の三角柱形に金属のポールを組み上げて鉄塔はできました。当日は親戚や友人の方々が大勢きてみんなでわいわい作業していて、子供心(おそらく当時7歳程)にもすごい工事をしているのだなと思っていました。このアンテナでかなり遠くまで交信していたと言っていましたが、具体的にどういう理屈で交信できていたのかとか詳しく聞いておけばよかったと今は思います。そういえば天候に大きく影響されると言っていた気がしますし、そんなことを高専の講義で習った記憶もあります。「おたく、変調浅いよ」とか言ったり言われたりしていたのでしょうか。

そんな父が交信するのをよく眺めていた、というかコタツで過ごしていると父が交信していたので、父のコールナンバーの呼び方(LXOだったのでリマ、エックスレイ、オスカー)や五十嵐の伝え方(いろはのい、かわせのかに濁点、・・・)といった定型句は今でも空で言えます。自分のコールナンバーのものは忘れたので言えません。子供の頃の記憶はすごいですね。

定型句のやりとりをしたあと、3往復程天気とか雑談をして交信を終了していたようでしたが、仲が良い友人とは長く話していたような気がします。当時、電話も定額制という制度がなかったので無線は長く雑談ができる良い手段だったのかもしれません。初めての人には「カードも送りますね」と言ってたのですが、あれはどうやって送っていたのでしょう。住所を交換していたのか、もしくは無線協会?とか公的機関が仲介をしてくれるのか。特にここでググったりはしないので、気になる人は調べてみてください。それでいいんですよ。

あ、タイマー動いてなかった。長くなったのでこの辺で終わりにします。今後のやんちゃクラブでハムの謎が解かれていくかもしれないので、たのしみにしています。

明日のやんちゃクラブリスナーアドベントカレンダー2021 は、やんちゃクラブのエバンジェリストことsuginoyさんです。


«前の日記(2021-12-01) 最新 次の日記(2021-12-17)» 編集